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四海樓(しかいろう)は、長崎県長崎市に店舗を置く中華料理店及び同市に本社を置き同店を経営する企業(株式会社)である。 ちゃんぽん及び皿うどん発祥の店として知られる。 == 沿革 == 1899年(明治32年)、当時の清国福建省から来日した陳平順が長崎市広馬場(籠町)にて現在の名で中華料理店兼旅館として創業した。店名である四海樓は、世界・天下を表す「四海〔南宋の詩人、楊万里の詩「六合塵清、四海波静(四方の海で波が立たず静かであるという意)」から〕」より、「世界中が平和であってほしい」という願いから命名されたとされる〔『ちゃんぽんと長崎華僑』、P34〕。 ちゃんぽんは、陳が身元引受をしていた清からの留学生らの食生活の悪さを見かねて、安くボリュームと栄養のある食事を取らせようと考案したもので、ほどなく長崎市内の他の中華料理店にも広がっていった。また、ちゃんぽんのバリエーションである皿うどんも同様にして広まった。 明治時代後期から大正時代にかけてはカフェも経営しており、市民からは「上海クラブ」と呼ばれ、港に入港した外国船の船員や医学生、長崎造船所の技師らが訪れ大いに繁盛した〔『ちゃんぽんと長崎華僑』、P66〕。 1917年(大正6年)より長崎に居を構えた斎藤茂吉は、1918年(大正7年)の東京相撲長崎巡業の際に、当時序の口であった出羽ヶ嶽に四海樓 のちゃんぽんを出前で頼んで食べさせ、その翌年には芥川龍之介、菊池寛らと共に来店するなど、遠来の客人をもてなす際によく利用した〔『ちゃんぽんと長崎華僑』、P60〕。 戦争の激化に伴い1944年(昭和19年)に一時閉店を余儀なくされたものの〔『ちゃんぽんと長崎華僑』、P89〕、1951年(昭和26年)9月23日に閉店前と同じ籠町で営業を再開した〔『ちゃんぽんと長崎華僑』、P93〕。1973年(昭和48年)11月14日に規模を拡大する目的で松が枝町の現在地に移転した。1999年(平成11年)1月より店舗改築に入り、翌2000年(平成12年)7月4日に現店舗が開店した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四海樓 (中華料理店)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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